「おやすみかごめ」

ちゅ、と軽く頬に口付ける。明日も早いからと先に眠りについたかごめの顔をしばらく見つめ続けたあと、こうして密かに口付けをして眠りにつくのがいつしか彼の日課となっていた。

ふっと小さな明かりを吹き消し、改めて寝具に入り込む。
すでに眠っているかごめの体温によって、それは温かみを増していた。
半妖の犬夜叉にとっては布団で暖を取るなど必要のない初夏のこの季節。
むしろ余計に暑苦しさを感じてしまうであろうこの季節。
それでもこうしてぬくぬくとした布団に自ら進んで入り込むのは、その温もりが他ならないかごめの発するものだからだ。

するりと足と足を絡め、起こさぬようそっと頭を支えて枕を引き抜き、代わりに己の腕を差し込む。
二の腕に置き直されたかごめの頭を、犬夜叉はとても大事そうに抱え込み、なるべくこちらへと引き寄せた。

「かごめ」

小さくそう呼んで、もう片方の手で優しく髪を撫ぜる。
さらりと綺麗な柔い黒髪の感触が犬夜叉の指を伝い、そのまま手は自然とかごめの頬へと向かっていった。
己の爪で間違っても傷を付けないように、優しく優しく指の腹でゆっくりと頬をなぞっていく。

――女の子には大切なことなのよ。
昔、まだ旅を続けていた頃、そう言って毎晩何かを一生懸命肌に付けていたかごめを思い出す。
すきんけあだのなんだのと、犬夜叉にとっては理解のし難いことを毎晩毎晩欠かさず行っていたかごめ。
肌をずっと綺麗に保つためには必要不可欠なことなのだと言っていた。
確かに、かごめの肌はいつも綺麗だった。けれど。

「なんもしなくても綺麗じゃねーか……」

すべすべの肌は、あれから三年の月日が経ち、こうして何も持たず戦国の世に嫁いできた今となっても変わらず健在だった。
……綺麗なのは、頬だけじゃねーけどな。
夫婦となってから幾度も行ってきた情事を思い出して、犬夜叉はひとり胸を高鳴らせる。

本当は今夜も溢れ出す愛しさを伝えんがために、己の欲望を吐き出さんがためにその綺麗な身体を抱きたかったが、かごめが駄目だと言えば我慢をするし、疲れてると言われれば手を出さない。
明日も朝が早いからと言われてしまえば、そうか、と瞬間に返して布団に入るのをただただ見送る。
犬夜叉は昔からこういう男だった。いつでもかごめの「よし」を今か今かと待っている、その姿はまさに忠犬。
出来る限りかごめのことを尊重し、かごめのために時には己を抑制する――それが彼の、かごめに対する最大の思いやりであり、最大の愛情表現だった。
……それが必ずしもかごめにとって良い形で伝わっているのか、そしてその“我慢”がいつまで続くのかは、犬夜叉自身にもわからなかったが。

「……今夜も我慢してんだから、これくらい許せよな」

もう一度、今度は寝息を立てる可愛らしい口元へとちゅっと口付けた。
夫婦だからと言って眠っている相手にあれやこれやして良いものか悩んだあげく、これくらいならばと自ら許可を下した、眠った相手の唇への口づけ。
一度で足りず、二度、三度と続け、最後に寝息を絡め取るかのようにその唇をペロリと舐めた。
途端、身じろぐ小さな身体に犬夜叉は慌てて顔を離す。

しかしその焦りとは裏腹にまたすやすやと寝息をたて始めた愛しい存在に、内心胸をなでおろしながら、犬夜叉は再びその頭を優しく撫でた。

ふわりとかごめが笑った。

何かいい夢でも見ているのだろうか。
かごめの笑みに釣られて目を細め、さらに優しく、慈しむように頭を撫で、先ほど言った言葉をもう一度口にする。

「おやすみ、かごめ」

また明日。
そっと閉じた瞳の裏には、未だ笑顔の彼女が映し出されていた。